ふるさと納税の米が届いた|父の命日

ふるさと納税の返礼品の米が届きました

自営業で払う税金を少しでも飲食品などに変えようと
何年も前からふるさと納税を利用しています。

これまでに米・鰹節・肉・山わさび・野田琺瑯の容器付き味噌などの返礼品をいただきましたが、一番多いのは米です。

よく利用する自治体は
岡山県の吉備中央町・岡山県笠岡市・山形県寒河江市です。

山形県寒河江市からのお米がきのう届きました。

冬場は精米年月日から約2か月が美味しく食べれる目安だそうですが
備蓄も兼ねているので賞味期限を延ばすため 5合ずつ真空パックにしました。

これを山の仕事場の大きな業務用プレハブ冷蔵庫に入れておきます。

大麦が入ったスープ

真空ついでに大麦もパックしておきました。
大麦は我が家のスープの必需品です。

カルフォルニアのばあさんブログChiblitsさん
スープに大麦を入れていたのを真似して作ってから
大麦を入れたこのスープは我が家の定番になりました。

便秘解消にもとても良い気がします。
このレシピをベースにして
トマト缶を入れたり、とろけるチーズを入れたりもしています。

父の命日でした

昨日は父の命日でした。
亡くなってから24年も経ちます。

私の父はお金にルーズで常に借金に追われていました。
姉と私は返済のお金を工面するのに苦労したものです。
でも、私は母を早くに亡くしてから父と二人で暮らした時期が長かったので
父との良い思い出もたくさんありました。

大学生だった姉が下宿先から帰った夜
「お姉ちゃんの修学旅行の買い物はお母ちゃんが一緒だったのに」
と、姉をうらやましがったことがありました。
それを父が陰で聞いたらしく
後に叔母(母の妹)の前で「こんな事を言っていた」と泣いていたそうです。

高校の時、父との夕食後テレビを見ているうちに互いにコタツで寝てしまい
夜中の2時や3時に目が覚めて父を起こすことが度々ありました。
テーブルの上には夕飯の残り物や食器がそのままで
夜中まで寝てしまい目覚める度になんだか悲しくなったりしました。

食事は父が作ってくれていました。
ほやとキュウリの酢の物は今でも時々食べたくなる「父の味」です。

母の声はすぐに忘れてしまったのですが
父の声は今も良く覚えています。

母・父・姉と皆 もういなくなってしまいましたが
いつか会えるのであれば 死ぬことも怖くないかなと思います。

4件のコメント

  1. かんこさん

    こんにちは~♬ 小春デス☆

    お米と大麦の備蓄

    流石ですね。

    私はですが

    多分にキリギリスの上行くキリギリスの大親分((笑))気質

    先を見越したり考えたり大の苦手で行き当たりばったり

    備蓄=文字通り備えて蓄える

    それが出来る方尊敬します。

    厳寒の冬が来たらば

    遠からじ凍え死ぬと思います。

    ならばお前も備蓄に励めよ!ですが

    めんどくさーで先送りがオチ

    やっぱ人間の質の違いですね

    自分が出来ないからかんこさんのブログで疑似体験

    脳内生活の備えさせて頂きますねぇー。

    1. 小春さん コメントありがとう(*^^*)
      私は食料や日用品の備蓄に励んでいるけれど
      小春さんはポイ活とか資産運用とかが得意そう。

      小春さんは大らかで賢いので、何かあってもその場で良い案が浮かんで乗り切りそうな気がします。

      私は生真面目で心配性で 備蓄の事を考えると他が見えなくなるので 小春さんのようにもっと今を楽しまないといけないなとは思っています。

  2. かんこさんの穏やかな語り口が好きです。

    今日のブログの最後「いつか会えるのであれば死ぬことも怖くないかな」
    まったく同じ気持ちです。

    父のほうがあとに残りましたので、父とは思いがけずいろいろ話すことができました。
    悔いが残るのは母のほうです。忙しさを言い訳にゆっくり相手をしてやれませんでした。本人も周囲も丈夫とばかり思い込んでいた中でのあっけない最期でした。

    あちらへ行けたら、まずはごめんなさいと謝り、そして昔のこと、いま(母亡きあと)のこと、たくさん話したい。そう思うことがよくあります。

    かんこさんのさりげない一言にうなづくことが多いです。
    ブログをこれからも楽しみにしております。
    急に冷えてまいりました。どうぞお身体を大切に。

    1. 私もsanakoさんと同じように父が後に残らなかったら、あれほど話をすることは無かったと思います。
      両親が揃っている時は父とは話すことが少なかったです。

      私の母は体が弱く入院が多かったし、たぶん母自身長生きできるとは思ってなかったと思います。
      44歳で娘二人を残して逝く母はきっと辛かっただろうに、私はまだ高校1年だったのでそんな母を思いやる事ができませんでした。
      もっと深くいろいろな話をしたり聞いてあげたら良かったと、後悔しています。
      本当に、あの世でまた家族に逢いたいですね。
      sanakoさん コメントをありがとうございました。

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